四角四面

仕事に行きたくない、学校に行きたくない、というのは健全な思考です、と言ったら毛嫌いされるだろうか。

自由ではありたいと思うのは健全な思考です。四角四面の作業や仕事、理屈を覚える勉強は動物であることを止めて人間という叩き上げの動物にならなくてはいけないからです。

苦しみとか戦争、それは苦しみや戦争ではないのです。狂った日本語だと思われるのは当然です。

人が苦しみだと言って決めつければ、それはそうなります。芸術とか言われるものも同じです。美しいとか力強いといって受け入れれば芸術になります。

痛いや寒い暑いも、この世には存在しない、と言ったら馬鹿扱いでしょう。

人は始めに肉体を授けられて産まれます。そのときは自分の思いも意識もありません。後だしジャンケンよろしく意識は後から現れます。すると肉体は意識の土台だとなります。

物の思い方は肉体から切り離して取り出すことが出来ませんから、思いは肉体に拘束される。この世に拘束されます。

恐い楽しい、自分は自分であると意識されたときから人は人となり喜怒哀楽を生み、苦痛や憎しみ愛情を生みます。

人が人となった証しは喜怒哀楽、寒暖、長短、強弱等々を発生させます。発生させることで命を保てます。美味いのは食べ、不味いのは捨てる。我が身第一に考えますが、時には我が身を抹消する行動をとることも厭わなくなる。自暴自棄や自殺や破れかぶれと言った事に走ることもあります。これは獣にはない人間の特性です。

意識は生物の域を超えて制御が効かなくなるのも危うい人間の特性です。

イジメというのは少年期の意識の戯れ会いだと思っています。それは人間の性質ですから解きほぐすのは無理だと思います。

大人になると国のいがみ合いや戦争になりますが、これも解決などはなくて、慣れあいとか折れ合いしか手はないように思います。

人が人に成って裏と表を発生させます。

努力とか勉強とかを表という言い方にしますと、怠慢とか詐欺とかは裏という言い方になります。詐欺とか暴力は分かり易い対抗心ですが、努力とか勉強も暴力である、詐欺であると言い切れるわけではありません。

割り切れないのがこの世ですが、敢えて割り切ろうとすると、矛盾が生まれます。矛盾のまま意思を通すと我になりますが、我だと意識されない我は幼い我で手に負えないという事になります。

矛盾と気が付いて意思を表現しようとすれば我は消えます。

表現というのは丸いモノ曲がったモノを四角四面の形にして表現します。という言い方も可笑しいですが、円盤は平面に現わすものだ、という言い方です。

この世にあっては丸も四角もありませんが、丸や四角といった風に表現しないと、表現の方法はこの世に存在しません。

意識を持った人間は、ないモノを有るかのごとく表現する、その上に立って生きるしか生きる術はありません。

この世には何もないじゃないか、といったことが腹の底に据えて置くべきだと思っている分けです。

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