下らないススメ

『生きることに迷う毎日なのに、子供など、どう育てていいのか分からない。』こんな心持ちが明日に希望を持てない少子化問題の一因にあるとも思います。

『生きる』とか『子供を育てる』という言葉には斬新なレア・アースが含む、私の身勝手から発する言葉です。

生きていると言っているのは私の勝手な言い方です。でも仕方ないのです。

現実っていう言葉を使うじゃないですか。現実っていう言葉は現実には世の中には無いのですよ。

でも使わないと言い表せないことっていっぱいあるのですよ。時計だってそうじゃないですか。世の中には時間なんてありませんよ。それをあえて時間と呼んで皆で時を縛りあわないと約束なんてかみ合わないじゃないですか。

「生まれた」というのは自分が生まれたのか生んでもらったのか、産まれさせられたのか分からない私です。

それをあえて私は「生きている」と言っていますのは大きな片手落ちです。

野や山に頭の肥大したオニヤンマが飛んでいました。

オニヤンマは頭脳がでっかくなっていっぱい考えることができて、自分というものを考えることが来るようになりました。

毎日飛んでいるのですが、羽を動かすのは疲れるので面倒臭くなりました。地上に目をやれば身体は空中を浮かんでいます。高さに恐怖をおぼえ羽のすくむ思いがするのです。

「なぜ毎日自分は空を飛ばなければならないのだ」と疑問に思えて、飛ぶ意味が分かりません。

少し離れたところにはシオカラトンボが飛んでいました。そいつも羽を何回羽ばたいたならばそばの畑の棒の先にとまれるだろうかという、飛び方に迷いを持っていました。

問題はトンボが何故飛ぶことに迷ってしまったかです。

トンボは、自分が高い所を飛んでいると意識してから、高さというものに怖れをなしました。羽を羽ばたけば疲れを覚える。努力はなんぼのものだと、と思案し不安の思いを抱きました。

更に問題は、更にその奥に更に問題は潜んでいました。

それはトンボ自身が自分で飛んでいると意識したことでした。

トンボは飛んでいる自分の姿は見えません。

それが見えると意識してしまった、トンボは自分が生きていると思った大きな錯覚でした。

錯覚は理解だと納得してしまいましたから、解消できない問題が発生していました。問題が問題を生み、錯覚理解という変てこりんな空の上を飛んでいました。いくら頑張って飛んでみてもそこから飛び出せません。

ただ毎日飛んで、疲れて飛んでいるだけでした。疲れているとツバメが勢いよく嘴で私をくわえて飛び去ります。

「私は生きている」と思っていたのは私の傲慢な思いでした。

我思う故に我ありという思いはただ傲慢でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました