まともな話

意味ないジャン。意味あることなどどうやったら叶えられるんだろうか。無責任でいいジャン。

誰が人のやること、生きることに責任が取れると言うんだろうか。

人は人のために生きる、なんて真面(まとも)なことを言ってちゃならないんですよ。

真面なことなんか真面じゃないんジャン。背中には適当に投げ出す無責任が滴(したた)っている。

下らないことを言ってるほうがよっぽど真面に聞こえる。

下らないことが真面じゃないのに、下らないことが真面だと言う私です。

真面なことを言わないほうがいいと言っていながら、下らないことが真面だと言っている。

これって言葉の綾っていうやつなのですか。

あの人はこう言った、この人はああ言った、違うことを言っていながら同じことを語るチンプンカンプン。

みんな下らない。下らないことは笑うしかないし陽気になれる。

笑えるんだったら、下らないことのほうがよっぽど真面ジャン。

下らないことを語る人は真面な、信頼できる人なんだよ。

真面目な話が真面に聞こえていたら、怖いけど覚悟を決めるしかないんじゃないの。怖いと思えている時はまだまだ下らない自分になれてなくて真面目なんだ。

もっともっと真面に下らない人間になりたい。

相手の笑える話は心持ちが見て取れるから笑うんじゃないの。

それが大人の人って言うんじゃないの。

平和なんて笑っていなくちゃならない、悲しいものなんだよ。

不穏な時が一番平和なんじゃじゃないの。困ったもんだが、そんな気がする。気を張りつめていないと壊れるんだよ。

下らんことをやって誰に責められても負ける覚悟のできてる

思い切り負ける覚悟のできている

胸を割っておいでおいでの出来ている

些細なことに目くじら立てない平和の証しだよ。

覚悟は曲がんないから厄介だが、下らんまま曲がんないなら可笑しくていいんじゃないの。

そんなことが嫌ならもう一度生まれ変わって出直してみたらどうだい。

出直しても、また人間になりたいなんて思ったら元の木阿弥だ。

生き方は千差万別、違う命なんてのもあっていいと思うよ。

それが・・・・・・・・

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