天上天下唯我独尊」は、お釈迦様の誕生時に発せられたとされる言葉で、文字通りの「自分だけが尊い」という意味ではなく、「人間は一人一人、誰にも代わることのできない尊い存在である」という、すべての人間の平等性を説いた教えです。この言葉は、自分自身を大切にすると同時に、他者も尊重すべきであるというメッセージを含んでいます。
Googleの『AI による概要』欄からの引用。
というこの説明は『人間の平等性』に重きを置いた説明の仕方だと理解します。
ですが、お釈迦さまが誕生されたときと言いますのは、悟りを開かれた時点を示して「誕生」という言葉をあてられていると分かります。
その時分には、自分(お釈迦さま)自身でも信じられない感動と驚きに包まれたのだと想像します。
そこに「この私(お釈迦さま)自身の存在があってこその悟りだ、何と私(お釈迦さま)自身がこの世に存在していた事実の有り難いことか、喜びと感動に包まれる瞬間を指して『天上天下唯我独尊』の言葉を使われたと理解します。
この世の神々しさ、怖れ、〈何と私はこの素晴らしき世界に降り立てせていただいているのだろうか!〉 という意味の、私は果報者だと感動された言葉が『天上天下唯我独尊』という言葉になったのだと思います。
生きているというのは当たり前だという思いは短絡的で、生まれるも死ぬも理解できない中です。
『生かされている』といった言い方ですが、生きていることを理解している、承知できているといった言い方で、知ることが出来ないという、知らずを知らない思い上がりだと思います。
何かに触れたかと思っても何モノにも触れることのできない立場、触れていないと思っても触れていないこと自体がこの世界だと気がつかれた、喜びと悲しみとに包まれた世界なのだと思います。
気が付いてみれば、頬をさすらう風も降る雨も空の青さにも感動せずにはおれない。私の身体があってこその感動せずにはおれないと気が付くに至った、気付いてくれた私自身よ本当にありがとうと私自身を俯瞰して喜んでいる。
何と尊い私の身体なのかと驚かずにはおれない感激の言葉が、天上天下唯我独尊という言葉になって現れたのだと思います。
もしも、『癌と戦う』などと言ったとき、ヒトの意思とは無縁の、命とは掛け離れた流れです。
この地上に今生きているという摩訶不思議な驚き、喜びに気が付いた、言葉では余りある心持ちを表現された言葉です。
私自身の存在なくしては生きているこの喜びを感じ取ることは出来ない。それを私(お釈迦様)は感じ取ることができた。何と私自身の存在の有り難いことか。私自身の存在の尊いことかとただ独り私の存在があってこそのこの世だ、という感涙の言葉だと理解します。
ですから自爆するテロなどは頓珍漢も甚だしいことになります。
お釈迦様は天を仰いで大きな声で言葉を叫ばれたのだろうと想像します。
コメント