人類滅亡といいましても、人類は存続しているわけではありませんので滅亡といったことにはなりませんよね。
恐竜の世紀といったことも聞きましたが、恐竜が生きていたと言いますのは、死んでいることではなくて、ただ、生きているとしか言いようがないんですね。
どうしてそうとしかと言いようがないかと言いますと、私も生きている、という同じ立場ですから、生と死の双方の意見を聞かないと片手落ちになりますから。
といいましても死の意見など聞きようがありませんから、ただ生きているとしか言いようがありません。
ややこしいのですが、じゃあ生の意見は問いましても、感謝して生きるとか、人は人のために生きているとか言われる程度です。
魚と同じように水の中で鰓呼吸して生きていられるなら、アニメの『ポニョ』と同じように生きているのでしょうが、水の中では生きられない。
生きられない領域はたくさんあって、生きられる僅かな領域で生きている。それが生きていると言うのでしょうが、生きているというのは生きている立場で生きている。
生きているというのは偏った立場で、そう思っています。
偏見とか〝我〞というのは、そこのところから発生している人間のタチだと思うんですよ。
もう、偏見の塊りで生きていますから、心に〝我〞が蔓延るなんていうのは日常茶飯事。
それが悪い事だとかいう思いではありませんが、ああ、そうなんだなあ。と思っている分けなんです。
『我思うゆえに我あり』なんて言うのは生きている心の支えにも何にもなりません。
我思うの、思いというのが端からないので、我などあり様がありません。
あり様がないので『我思うゆえに我あり』なんて言うのは、子供が『それ、ボクが見つけたんだ』と目を丸くして主張しているのと似ていて、可愛い小鳥の囀りに思えるのです。

コメント