こんな題名で書けるわけないじゃない
と思いながら書いてしまう世間知らずな私です
目で見ている姿は目に映っただけだというのに本物だと思ってしまう
だったらカメラで撮った写真はみんな本物だとなってしまうが
みんな光と影を描写しただけの偽物だ
言葉だけ聞いていたら気持ちが分かるかと言っても分からない
何を言いたいのか分からないけど訛声のほうが気持ちは分かる
味は舌で分かるのだけども食べなくても匂いで分かる
喧嘩しなくても弱虫は遠くから分かる
この人は心強い人かなと思ってもいつも毎日ではない
陽に輝くガラスに温もりはない
だから 見たこと知ったことをを文字にしようとすると
言葉にしようとすると
好い加減という良い言葉がある
文字に出来たゾと言っても
そうとも、ああとも、こうとも取れる意味になっちまうんだよ
見るモノを手掛かりに、頼ったりして
「ア」の声だったり、「イ」だとか「ウ」だとか発音するのが
一番聞いたこと、見たことに近い言い方なんだよ
鳴き声は 泣き声とも書くし
本当は無き声なんだよ
無き声の自分の泣き声は聞こえないから
隠すことも出来るし
本当に泣き声を出して泣くと
涙と一緒に気持ちが流れ出るんだね
気持ちが流れ出るなんてそんなバカな
と思われる思いは分かります
思いは固形物ではない
気持ちなので涙に溶け込めるんだよ
気持ちを形に変えて贈り物で現わすとか言いますが
一番現れるのは涙ですね
だから泣き真似なんかもあるんだね
姿を見るのには
目で見るのを目掛かりにして
目掛かりにして、とは言いませんが
目で手探りして見るだよ
音を聞いては音は聞こえないんだ
目で味わったり耳に触れたり手で見たり足で驚いたり
みんな皆出来るんだよ
そいじゃない、そうじゃないと思ったときに
見えなくなって味わえず聞こえず
わからなくなってしまうんだよ
耳を頼りに聞こえた音は
身体に触れる振動を頼りにするんだ
すると見えるんだ
いいや判るんだ
目で見ては 音は見えないんだ
だから聞こえた音は頭の中でもう一度思い出して聞いてみるんだ
そうすれば聞こえた音は自分のモノにできるんだ
誰にも聞こえない音でも聞こえるようになるんだ
誰にも見えないモノでも見えるようになるんだ
それは錯覚と言ったりしますが
錯覚は本モノで
錯覚だとしてしまうと
見えなくなったり聞こえなくなったりするんだ
だから勉強して理解したりすると
解らなくなるんだ
聞こえなくなったり見えなくなったりするんだ
聞こえるというのは聞こえないときに聞こえるんだ
見えるというのは見えないときに見えるんだ
だから こうして文字にして見せると
何も見えない何も聞こえない
手で触った感触ってあるじゃないですか
触った感触って目で見えませんよね
鼻で嗅いだ臭いって味わえませんよね
ところが
「おいしい匂いがする」って言うんですよ
美味しいのは食べてみなければ判らないじゃないですか
それが食べる前から判るんですよ
これって能力なんですよ
聞こえない音は聞こえないのですが
聞こえているように判る
肉を焼いていれば
見ているだけで美味しい
みんな能力なんですよ それを手や足

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